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大会入賞祝賀会での師範挨拶 2004年7月23日 会場:ホテルニュー日活(矢吹町)
本日は、お忙しい中、私の入賞祝賀会においで下さいまして、誠に有難う御座います。心より御礼申し上げます。
思えば、昭和52年、今は亡き飛田先生率いる空手の道にのめり込み、昭和55年に国際空手道連盟極真会館に入門した当時は、漫画「空手バカ一代」や映画「地上最強の空手」等の影響で爆発的な空手ブームでした。大山倍達に憧れ、その弟子であり漫画にも登場する世界各国や、日本の師範達にも憧れました。
その当時、正式な師範としての認可を頂いているのは全国でも30名程度しかおらず、大山総裁が亡くなられた時期でも55名程度だったと思います。
正に「ゴッド・ハンド」「牛殺し」と讃えられた大山総裁の正真正銘の直弟子であり選び抜かれた方達です。私だけではなく「強さ」を求め入門してくる全ての若者達が、師範と呼ばれる方々に憧れるのは当然と言えば当然でした。
しかし、平成6年4月、大山総裁が逝去されてから間もなく、各県の師範はそれぞれが己の行く道を模索し始め、様々な派閥ができ極真会館は大分裂をしました。そして、現在も離合集散の繰り返しです。悲しい事ですが大山総裁が亡くなってからもう10年が経ち、それぞれ目指すべき道が違ってくるのも、時の流れで仕方が無い物かとも考えます。
ただ残念なのは、大山総裁の死後、全国で相当数の方々が師範就任をしていますが、空手の指導どころか、武道教育を通じた青少年の健全育成や、社会生活さえもまともに出来ない方も居るとの事。どんな理由で、どんな渦に巻き込まれて師範になったのか、様々な葛藤もあったのかもしれませんが、巻き込まれたなら巻き込まれたなりに、行く先を見極め、必死になってもがき苦しみながらも信念を持って突き進まなければ、私が、いや、全国の若者が憧れた、昔の極真の師範までもが色褪せる様な気がして、寂しい想いがあります。
そして、私の周りにもでっかい渦が発生しました。私は今その渦の中にいます。決して一生なれない、いや、考えたことさえ無かった師範就任。まさか私自身が先頭に立って行く先を見極める事になろうとは思いもしませんでした。しかし、躊躇していても始まりません。私には私を信頼し、付いて来てくれる仲間が大勢います。そして私が目指している道もあります。この矢吹町で生まれ育ってきた過程で構築された価値観や生き様があります。この町で育てられ、子供達や仲間と出会い生かされてきました。今の私に出来る事は空手道を通じて地域貢献し、この町に恩返しする事だと考えます。それは私自身が「率先垂範」で、人に「頑張れ」「負けるな」と言える人間になる事。そしてそんな「人」を育てる事。「頑張れ」「負けるな」は常に自分自身が何かに一生懸命取り組んでいなければ言えない言葉。
最近は自分が何も頑張っていないのに、子供や他人には「頑張れ」「負けるな」なんて平気で言う大人が増えていますが、そんな大人が当たり前の矢吹町にならない様に訴え続けて行きたいと考えます。それが本来の青少年健全育成の柱ではないでしょうか。
大山総裁の言葉に「実践なくんば証明されず、証明なくんば信用されず、信用なくんば尊敬されず」と言う言葉があります。人は、もちろん子供も、口だけでは心までは動かないのですから。
最後になりましたが、ここまで私を支えてくれた両親や家族、後援会の方々、道場生や父兄の皆様、福島県本部長の安斎師範、そして師範認可を与えて下さった極真会館群馬の松島師範、東北総本部岩手の小野寺師範始め、本日ご来場の皆様にこんにちまでの御礼を申し上げますと共に、これからもご指導ご鞭撻、切にお願い致します。本日は誠に有り難う御座いました。