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米田 俊幸
H25年6月23日 初段取得
この度は昇段審査の機会を頂き、門馬智幸師範に心より御礼申し上げます。また、自分と連続組手をして下さった諸先輩方にも御礼申しあげます。
自分が極真空手を知るきっかけとなったのは当時流行していたブルース・リーの映画でした。中学校の休み時間にブルース・リーを真似て遊んでいたところ、友人から空手の漫画があるからと勧められたのが「空手バカ一代」でした。漫画の主人公である大山総裁に憧れ、地上最強の極真空手に入門したいと思いましたが、当時住んでいた姫路には極真空手の道場がなかったため、早く上京して総本部に通いたいという夢を持つようになりました。晴れて大学生となり、大学では日本拳法部に入部し、極真会館総本部にも通うという掛け持ち生活を始めたのですが、自分の気持ちは日に日に極真空手へ傾いていきました。そんな自分の思いを感じ取ってか、日本拳法部の主将が「極真で黒帯を取るまで頑張るのであれば日本拳法部を退部してもいいぞ」と言ってくださいました。その日本拳法部の主将が当時法政大学に在学していた大西靖人先輩と知人関係にあったことから、自分も法政大学の極真空手同好会へ入会し大西先輩が所属する城西支部へと通うこととなりました。当時の自分は二十四時間、三百六十五日極真空手のことだけを考え、仲間と共に充実した日々を過ごしました。そして日本拳法部の主将との約束通り、大学四年の時に黒帯を取得しましたが、卒業と同時に極真空手を離れ、サラリーマンとして全国転勤をするようになりました。社会に出てからも様々な困難がありましたが、乗り越える原動力となったのは極真空手で培った精神力であったと自負しています。
平成二十三年四月に転勤で福島に着任し、震災後の復興のために微力ながら力を尽くしていました。そんな折、テレビで「あきらめない心」を見て岩崎先生を知り、震災後ひたむきに極真空手に取り組み、子供たちに空手を通じて生き方を伝える姿に深く感銘を受けました。そして自分の中で極真空手への思いが再燃し、約三十年振りに空手着に袖を通すこととなりました。今は「誰よりも強くなりたい」という気持ちよりも「懸命に頑張る子供たちに勝つ喜びを教えたい」という気持ちで稽古に臨んでいます。
今後も生涯の修行として、極真空手と共に残りの人生を歩みたいと思います。門馬智幸師範、諸先輩方、益々のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
押忍